80回目の終戦記念日、昭和100年8月15日がおわりました。
今年8月15日には、金曜ロードショーで『火垂るの墓』1988(昭和63)年公開 高畑勲監督が7年ぶりに放映されました。
見ていて終始辛い場面が続くので積極的には見たくない映画ですが、テレビで放映されると、日本人としての義務感(?)から毎回見てきました。
今回7年ぶりに鑑賞して、自分も歳を取り考え方や環境が変わり、また近現代史への興味が強くなったこともあり、映画に対し以前と違う印象を持ったので書き記しておこうと思いました。
考察とか解説ではなくて、あくまで自分が今年見て気づいたこと、感想です。
言葉に表せられないほどインパクトの強い作品なので、書くのにかなり時間がかかりました。
あらすじ
「4歳と14歳で、生きようと思った」
太平洋戦争末期、空襲により母親と家を失った4歳の節子と14歳の清太の兄妹。
親戚のおばさんの家に身を寄せるものの、厄介者扱いされることに耐えきれなくなった清太は、家をでて野外で兄妹ふたりだけで生活していくことを選びます。
次第に困窮し、節子は栄養失調で命を落とし、節子を火葬して程なく清太自身も息絶えます。
見たことがない人はネットフリックスで配信されているので見てください。
作家の綿矢りさによると、火垂るの墓を鑑賞して「幼心には処理しきれないほどのトラウマを背負う日本の小学生は少なくない」(『かわいそうだね?』文春文庫)らしいですが、まったくその通りで、わたしもその小学生のうちの一人でした。
思い出すだけで嗚咽が・・・
気づき・感想
①親戚の性悪ばばぁの背景
空襲で焼け出され母が死亡、14歳の清太と4歳の節子が身を寄せたのが、西宮の親戚のおばさん(未亡人)の家。
おばさんは、清太の家との約束を守り身寄りのない兄妹を引き取り面倒を見ますが、次第に鬱陶しくなり、いびり倒して最終的に二人を追い出すことに成功します。
火垂るの墓のトラウマの半分位はこのおばさんに起因するのでは、と思うくらいハラワタが煮えくり返る人物なのですが、今回はそのおばさんの背景を考えてみようと思います。
与えられた部屋で清太がゴロ寝しながら読んでいたのが、雑誌『主婦の友』。
主婦の友とは、1917(大正6)年〜2008年まで実際に発行されていた、名前のとおり主婦向けの雑誌です。
実際の雑誌を登場させるというのは設定が細かいですよね。
清太がおばさんの家にある雑誌を借りて読んでいたのでしょう。
これまで気にも留めなかったシーンなんですが、先月、仙台市歴史民俗資料館でたまたま実際の戦時中の主婦の友の展示を見たので、火垂るの墓にも登場していたんだ、と気づくことができました。
▼1944(昭和19)年12月号

表紙左上に「アメリカ人をぶち殺せ!」と書いてあります。
これ、読者層は軍人じゃなくて主婦ですからね。
▼1945(昭和20)年4月号

清太がおばさんの家に身を寄せたのが1945年の6月だと思われるので、これらはそれより前の号ですが。
この頃の主婦の友は、船や飛行機を造るなど銃後で働く女性の姿が表紙となっていて、内容も、戦争勝利のために市民の勤労奉仕を求め、戦争協力を煽るものでした。
世の中が戦争一色になるなか、主婦向けの雑誌の内容もその風潮に沿って変わっていったのです。
おばさんは作中しきりに「お国のために」と発言し、奉仕活動に行かない清太に嫌味を連発していましたが、その行動には少なからずこの雑誌の影響もあったのでしょう。

表紙に、主婦の友は回覧して読みましょうと書いてあります。
おばさんも近所で主婦の友を回し読みしていたのかもしれません。
町内会が大政翼賛会の下部組織と位置付けられ、配給品すら町内会がコントロールしていた時代。
奉仕活動もせずただ家にいる兄妹のせいで、近所から白い目で見られると危惧したのかもしれません。
以上がおばさんの置かれた環境について。
続いて、おばさん個人の事情を考えてみます。
清太の家は裕福でした。
戦争に行った父親は海軍の要職についていること、母親の指輪や身なりの良さ、当時高級品だったカルピスが飲めることなどからわかります。
対しておばさんは(経緯はわかりませんが)未亡人で、生活困窮とまではいかなくとも、暮らしぶりは楽ではなさそうです。
清太が、梅干しやバターなど、燃えた自宅の庭に埋めて隠していた豊富な物資をおばさんの家に持ち込んだとき、喜びつつも
「(戦争中でも物資は)あるとこにはある」
「海軍さんばかりいい思いして」などとポロっと本音が出ています。
作中で直接的な描写はないものの、もともと、清太の家、特に母親のことが妬ましかったんだろうなと。
居候する兄妹にイライラしつつも、一方で、空襲がきっかけで自分のほうが立場が上になったことに若干快感があったのかもしれません。
・・・と、おばさんの事情を想像してみましたが、生き延びられないとわかっていながら子供2人を厄介払いしたおばさんが性悪であることに変わりはないです。
清太の知らないところで勝手に母親が死んだことを節子に言うし。
4歳の子供に。
②清太と節子の選択
上記したようにおばさんは最低最悪ですが、おばさんだけが特別意地悪だったわけではなく、むしろ当時は(今も?)一般的な大人のうちのひとりでした。
火垂るの墓に出てくる大人はみな未熟で冷たいです。
兄妹に積極的に関わろうとする人はいません。
おばさんはもちろん、戦災孤児の死体に慣れた様子の駅員、食糧を盗んだ孤児に警官が嗜めるくらいひどい暴行をした農家のおやじ、衰弱した子供に処置をしない医者など。
大人は本来、子供を庇護する存在であるはずなのに、みんなが見て見ぬふりをします。
そのため特に清太は大人を信用しなくなります。
「頭下げておばさんの家に戻れ」とか「子供の火葬には寺の一角を貸してもらえ」とかの周囲の大人の助言を一切聞き入れません。
清々しいくらい、ことごとく反発していきます。
最終的に兄妹ふたりとも衰弱死してしまうので、おばさんの家を出て二人きりでの生活を始めるという選択は、生き延びるという点においては失敗でした。
生き残ることを第一とするなら、自分を曲げて大人に頭を下げるべきでした。
が、己の尊厳を守るという点では、この選択しかなかったんじゃないかと思うんですよね。
例えば現代で、学校でいじめ、職場でパワハラや過重労働が起これば、心身の健康を守るために誰しも「そんな場所からは逃げたい、逃げたほうがいい」と考えると思います。
清太も同じ。
ですが、現在なら正当性を持つその考えは、滅私奉公が当たり前だった戦時中には許されないものであり、社会に反発したことへの罰かのように、ふたりは死に至ります。
悪いことをしたわけじゃないのに。
劇中歌に、「はにゅうの宿」が流れるんですが、これは、どんなに粗末な家でも我が家がいい、という内容の歌です。
節子はおばさんの家ではずっと塞ぎこんでいたのですが、家を出て清太とふたりきりになった瞬間に声をあげて笑うんですよね(見送ったおばさんもビックリしている)。
引っ越し後、元気だった頃は横穴で本当に楽しそうに遊んでいるし、衰弱してきてからも、清太に側にいてほしいとはグズっても、おばさんの家に戻りたいとは一度も言わないです。
家族みんな揃って過ごした神戸の家に帰りたいけれど、もう家はなくてお母さんは死んでいて二度と戻れないから、せめて清太とふたりで横穴にいたい、と4歳の子が考えていたのが辛すぎます。
というか清太の生活能力すごすぎる。
14歳で、自炊だけでなく、遠方の銀行に行きお金おろしたり農家と交渉したり空襲のなか空き家に飛び込んだり、、、わたしにはそんなことできないよ。
③映画公開から37年が経過した今
映画は、1945(昭和20)年に清太が駅で死ぬところから始まり、幽霊になった清太と節子が、空襲以後の生活を回想し、現代(映画公開当時1988(昭和63)年)の神戸のビルの街並みを見下ろして終わります。
幽霊ということは、ふたりは成仏できていないということであり、死んでからもずっと同じ場所をさまよっていることを示唆しています。
ラスト、幽霊の清太がこちら側(観客、視聴者側)を一瞬だけ見つめるシーンがあります。
それまで外側、いわゆる神の視点から兄妹を見ていた視聴者を、わずかな間とはいえ、いきなり物語の内側に引き込みます。
このメタ的な仕掛けが、視聴者をかなり居心地の悪い気分にさせます。
“現代のあなたは、たまたま戦争のない時代に生きているが、あの時代に生きていたら、同じ状況に置かれたらどう行動するのか?”というようなことを問いかけられているように感じる作りになっています。
と、ここで記事を終えると綺麗にまとめられるんですが、今年見たならではの気づきがありまして。
現代、といっても、この映画は37年も前のものなんですよ。
そして映画の公開から、今年2025(昭和100)年で37年が経過しました。
つまり、終戦~『火垂るの墓』公開、公開~現在まで、ほぼ同じ時間が経過しているのです。
これは結構怖いことだなと思いまして。
『火垂るの墓』は現代を生きるわたしたちにメッセージを伝えている~みたいな、そんな悠長なこと言ってる場合じゃなくない?と。
映画公開時の1988年当時ですら戦争の記憶が徐々に薄れていっていたのに、戦後80年の今などもっと薄れています。
戦争があったこと自体知らない人たちも増えているんでは?
あと平和の観点でいうと、1988年よりも今のほうが退化していると思います。
世界各地で起こっているこれまでにない規模の戦争もそうですし、最近日本国内で極端な主張がトレンドになっていることにもげんなりします。
令和の日本に、(実際に特に欧米から差別されていたとはいえ)日本は他国から不当な扱いを受けているという被害者意識が高まり、多数の国民が中国やアメリカとの開戦を熱狂的に支持した昭和初期の日本が重なって見えて、本当に陰鬱な気分になります。
主婦の友の「アメリカ人をぶち殺せ!」は冗談ではなく本気でそう思っていたんだよ・・・
そう思うと、幽霊の清太がこちらを見つめるシーン、“今後戦争が起こったらあなたはどう行動するのか?”の問いかけとも思えますね。
いや起こらんでほしいけど。
おわりに
長くなりましたが、そもそも感想を書くきっかけが、仙台市歴史民俗資料館で『主婦の友』を知り、その後に観た『火垂るの墓』に雑誌が登場していたのに気づいたことです。
実際に足を運んで見たり勉強したりしたものが、あとで別の場所で繋がって、より知識や興味が深まりました。
点と点が線になるのが面白いのもあって、ちょくちょく旅に出るんだと思います。
次はどこに行こうかな~