戦跡めぐるひとり旅女

明治〜昭和の遺構、ミュージアムをめぐる旅のきろく

東京湾要塞跡めぐり千葉編/富津元州堡塁砲台

東京湾要塞めぐり、今回訪れたのは千葉県富津市です。

今年の5月に、神奈川県横須賀市にある観音崎砲台群跡、千代ヶ崎砲台跡を訪れたとき、対岸の千葉県側にも絶対行ってやる!と思いまして。

有言実行、ちゃんと行ってきました。

 

 

 

戦跡があるのは、県立富津公園

東京湾に突き出た富津岬全体がかつては軍事施設でしたが、戦後に公園として整備されました。

戦跡めぐりのスタートは明治竣工の富津元洲堡塁砲台跡。

ゴールの富津岬の先端には展望台があり、東京湾、対岸の三浦半島、第一海堡、第二海堡が一望できます。

スタート~ゴール間の遊歩道沿いに、砲台が除籍になった後に建造された、陸軍第一研究所富津試験場の遺構が点在しています。

 

今回は富津元洲堡塁砲台跡を歩きます。

 

 

 

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富津元洲堡塁砲台について

竣工:明治17(1884)年6月

除籍:大正4(1915)年

幕末期、ペリー来航をきっかけに、江戸湾東京湾)への外国船の侵入を防ぐため江戸幕府はあちこちに台場=砲台を築造。

そのひとつが富津台場であった。

明治になると、富津岬は旧陸軍東京湾要塞司令部の管理下となり、富津台場は元洲堡塁砲台として戦闘配備についた。

2センチ榴弾砲と12センチ加農砲が据え付けられたが、兵器の発達とともに旧式となり、実戦で弾が発射されることはなかった。

富津岬戦争遺構ガイド案内板より)

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対岸にある、横須賀の日本最古の砲台・観音崎第一砲台と竣工年が同じなので、日本の近代化以降で最も歴史ある砲台のひとつなのです。

ここは堡塁砲台なので、海上の敵船への攻撃、陸地から攻めてくる敵への対処、どちらの役割も兼ねています。

 

富津元洲堡塁砲台は、↓このように、

外堀を掘って東京湾から海水を引き入れ、中洲と外が橋で繋がっています。

まるでお城!

あちこちの砲台を見て来ましたが、堀のある砲台に来たのは初めてで新鮮。

 

 

さっそく渡ります。

前方の小高い丘が砲台のあるところです。

 

お堀がめちゃ立派。

 

背丈より高い石造りの壁の入り口。

140年前からある壁ですよ。

中へ進むと土塁に突き当り、手前は広場のようになっています。

 

広場から、来た方向、橋~入口方向を振り返るとこんな感じ。

左右に階段があるので、右側へ登ります。

この階段は公園利用者のために後からできたもの。

 

土塁の上から見る橋と堀。

堀の幅がなかなか広い。

 

 

土塁の上をぐるっと歩いていくと階段につきあたり、

 

階段を登ると左翼観測所と付属室があります。

コンクリート壁と石垣とレンガのハイブリッドがカッコイイ。

 

吸い寄せられるように付属室の中に入ります。

付属室は天井部分がコンクリート、入口と壁が煉瓦でできてます。

漆喰がはがれて中のレンガがむき出しに。

レンガはフランス積み。

 

天井が低いので屈んで見学。

レンガ×アーチの美。

 

丸みのある壁の内側に階段があり、観測所の上部につながっていたはずなんですが、今はコンクリートで塞がれていました。

不自然なので、いつかは不明ですが、あとからコンクリートで塞いだんでしょう。

 

上から見るとこう。

わたしが写真を撮った位置あたりが観測所のあったところですね。

ちなみに右翼側にも観測所があったはずですが、現存していないようです。

 

 

ここは観測所があったくらいなので、富津元洲堡塁砲台跡=現中の島公園のいちばん高い場所です。

展望台があります。

この展望台からの眺めが素晴らしく。

360℃見渡せて、富津岬の独特の三角の地形や土塁の形、砲台の位置がよくわかります。

 

 

▼堡塁入口

 

 

▼左翼側砲座

 

転落防止のためアーチ状にフェンスで囲っているところが砲座。

28㎝榴弾砲が配備されていたそうですが、今は草でボーボ―。

榴弾砲は、弾が放射線を描いて発射される大砲なので、砲座から海は見えず、海からも砲座が見えないようになっています。

 

 

▼右翼側砲座

塁道跡にはコンクリートが敷かれ、そのまま展望台につながる道として整備されています。

 

▼右翼側の堀

 

 

▼右翼側の堀と富津岬の向こうに見える風景

絶景!

対岸の横須賀の観音崎砲台群、東京湾に浮かぶ第一海堡&第二海堡と、ここから見る景色は東京湾要塞めぐりのハイライトだなーと感動。

観音崎と富津は海防の最重要拠点で、理由が湾の一番狭くなっている場所だから、というのがよーくわかりました。

この日は富士山が見えなかったのだけが残念ですが。

 

 

展望台付近には当時のモノと思われる遺構がいくつかあり。

土塁のへりにある柵のようなものや

 

土塁の左右両端にある円形の構造物。

観測所の設備かな?

 

 

せっかくなら砲座を見たいので展望台を降り、塁道を下っていったのですが。

 

残念ながら↓こんな感じで草ボーボーで、

 

立ち入ることを断念。

 

▼ズームで撮った砲座内部

胸墻の石積みがわずかに見えました。

同じ竣工年の観音崎第一砲台、第二砲台には弾室がありましたが、こちらはなさそう。

 

その日、業者さんが塁道まわりの草を刈っていましたが、わたしが去ったあとに砲座の内部の草刈りもしてくれたのかなぁ・・

それともそこまで草刈りしなくなったんでしょうか。

わからないですが、整備の継続求む!

 

 

 

富津元洲堡塁砲台、砲座や構造物を目当てに行くとちょっと物足りないかもしれないですが、地形探索という意味では、歩いていてとても面白かったです。

実戦で使用されることはなかった砲台ですが、100年以上経っても土塁とか堀はそのまま残っているので、城攻めのように、背後から敵が来たらこの配置で、、とか、敵船をこの方角から、、と想像する楽しさがありました。

 

帰りは、堡塁入口と反対方向にある堀へ降ります。

写真左上にあるのが右翼観測所の付属物?で、降りてくると土塁の形がよくわかります。

本当に山城みたいです。

 

つづく~